第5回 八丁味噌がもたらした家康の天下統一

岡崎が生んだ名物調味料・八丁味噌

 古くから、日本人の食卓に欠かすことのできない味噌。原料となる大豆を発酵させてつくる味噌は、さまざまな食材と合わせられる調味料として長く愛されてきた。そのバリエーションは多彩で、使用する麹や製造法などによって地域ごとに多くの種類がある。
 大豆と塩だけで仕込んだ味噌を豆味噌といい、中京圏(愛知県・岐阜県・三重県)はその産地として著名である。広く調理に使われてきた豆味噌の中でも、愛知県岡崎名物の「八丁味噌」は、赤褐色の色味とわずかな渋み・苦味を持つ独特の味で知られる。
 そしてこの八丁味噌を好んだのが、戦国時代と呼ばれる乱世をまとめ、250年以上続く太平の世を築いた徳川家康(1543~1616)であった。それだけでなく、天下統一における原動力の一つになったのではないかと思えるほどに、家康と八丁味噌には深い繋がりがあるのだ。

徳川家康肖像(堺市博物館 蔵)

天下を引き寄せた質素な食生活

 織田信長(1534~1582)、豊臣秀吉(1537~1598)に続く「天下人」となった家康だが、その生涯は苦難の連続であった。三河国(現在の愛知県東部)の大名家の跡取りとして生まれた彼は、幼少期を隣国の大大名・今川家の人質として過ごす。ようやく独立したその後も、信長や秀吉といった時の権力者の下でひたすら耐え忍ばねばならなかった。そんな彼に最終的に天下をもたらしたものは、家康自身のじっと耐えて機を待つ「忍耐力」、そして「徹底した健康管理」であった。
 彼は生涯を通し無駄を嫌った吝嗇(りんしょく)家として知られているが、その質素倹約ぶりは無論、食にも及んだ。常に健康を第一に考え、食事は麦飯と栄養価の高い八丁味噌を中心とした質素なものが主であったという。その徹底した姿勢は、のちに関東の領主として江戸に本拠を構えてからも変わらず、わざわざ生国の三河から、慣れ親しんだ八丁味噌を取り寄せ食していたほどであった。その甲斐あってか、当時としては異例の75歳という長寿を全うしたのである。
 「長命こそ勝ち残りの源である」という自身の言葉通り、信長と秀吉が築いた天下を最後に手にしたのは、長生きをした家康であった。

注 『戦国武将の食生活 勝ち残るための秘伝』(永山久夫著、河出書房新社発行)より

江戸時代より受け継がれた伝統製法の熟成蔵(登録有形文化財)。八丁味噌の独特の風味はここで生み出された。(合資会社八丁味噌 提供)

八丁味噌、その起こりと伝統

 では、八丁味噌はどのようにして生まれたのだろうか。岡崎周辺の豆味噌自体は室町時代には誕生していたといわれるが、その呼び名の成立時期は、実ははっきりとしない。ただ、1857(安政4)年に江戸の役人が書いた『三河みやげ』という書物に「八丁味噌」という言葉が見られることから、幕末期には既に広く名が知られていたと思われる。
 家康生誕の地である岡崎城から西へ八丁(約870メートル)ほど離れた旧八丁村(現在は岡崎市八帖町)に江戸時代初期から伝わる製法は、おおよそ次のようなものである。
 まず、水洗いをした大豆をしばらく水に浸し水分を含ませ、水を切った後に蒸す。この蒸しの段階で、八丁味噌の特徴である深みのある色が出てくる。その後に麹を加えて数日間発酵させ、水と塩とを混ぜ合わせる。そして杉でできた大桶に入れ、木蓋をかぶせた上に石をのせて空気に触れさせないようにする。これを3 年ほどかけ熟成させて、ようやく八丁味噌となる。100年以上にわたり同じ大桶を使い続けている熟成蔵もあり、その中に長い間棲みついてきた微生物の働き、そして一般的な味噌に比べ長期にわたる熟成期間が、独自の風味をもたらしているのだ。

「八丁味噌」
栄養学の発達によって海外でも注目されるようになった味噌。昭和46年にはアメリカにおいて『THE BOOK OF MISO』などの味噌に関する書籍も出版されており、近年ではヨーロッパでも優れた自然栄養食品として評価も高まっている。

 家康は風味の良さや長期保存ができて携行にも便利な点に目をつけ、武士の粗食として味噌を励行し、陣中食としても用いた。当時の兵は戦の際、現代のインスタント味噌汁の要領で、芋のつるを味噌に漬けておき、切って湯に入れて戦陣で食していたようだ。
 今や、手軽に各地の伝統の味を楽しむことができる味噌。多くの種類がある味噌の中で、八丁味噌は徳川将軍家代々の愛用食となり、また1901(明治34)年には宮内庁御用達にもなった。さらに南極地域観測隊においても、犬ぞりの先導犬であるタロとジロが活躍した昭和30年代より携行食品として採用されている。味だけではなく、耐暑耐寒試験を通して、その優れた耐久性が認められたのだという。
 現在の私たちの食卓と、歴史に残る英雄の天下獲り。一見つながりの無い両者だが、実は八丁味噌という一つの調味料を通じて密接につながっていたのである。改めて、食と歴史をめぐる不思議なロマンを感じずにはいられない。