人の「体臭」で何が分かる? Johan Lundstrom

視覚システムとの比較

ここで、他の感覚における情報処理を見てみましょう。実は、体臭と一般的なにおいとで異なる脳の処理システムは、視覚でも同じように作用しています。
ヘビやクモなど生存の危機に関わるものを見たときは、危険でないものを見たときよりも知覚が高まり、その情報は、脳の情報処理部分に優先的に送られます。そして、より速くアクセスできる特別な経路で、行動を司る脳の部分に伝わります。逆に、一般的な情報は、速度は遅いけれども、より正確に情報を処理できる別の知覚経路で送られます

危険なものを見たとき、脳はどう働くか

アダムとイブが庭の小道を歩いているところを想像してください。アダムが突然、草むらに横たわるヘビを見つけました。視覚システムが警報サインを出し、恐怖感が刺激された結果、速い経路を伝った無意識的な処理に制御された彼の体はヘビから遠ざかろうとします。同時に、緩やかながら、より正確な情報処理のできる視覚経路には、「彼が見ているものは、イブが置き忘れた水やり用のホースだ」と認識するだけの時間があります。しかし、その情報が届いても、優先順位の高い経路で感知された結果起こった回避行動は止められず、アダムは叫び声を上げて飛び退きます。そして、心臓がドキドキし、少し気まずい思いをすることになります。このような優先的なシステムとその効果を「前注意的処理」といいます。見落とすよりも見間違えた方がいいという原則があるため、私たちは、誰もがこうした「失敗」を経験しています。実際、何度もシマウマをライオンと見間違えて恐怖に駆られた行動を取ってしまったとしても、本物のライオンを見逃すよりもずっと安全です。

嗅覚も、視覚と同じように作用する

体臭も同様に、直接的に処理され、知覚者にとって重要な意味を持つのではないかとの仮説を立てることができます。そこで私たちは、体臭と、体臭と同レベルの誘意性と強さを持つ一般的なにおいを用いて、脳の情報処理速度を比較しました。その結果、体臭は、一般的なにおいよりも20%速く脳で処理されていることが分かりました。生物としての重要な刺激に対し、人間の嗅覚は視覚と同様に作用することが示唆されたのです。

知らない人の体臭を嗅いだとき

視覚システムでは、生物学的に重要な刺激は、脳のより深い原始的な部分にある恐怖ネットワークに優先的に伝達されます。私たちは、体臭も恐怖ネットワークを活性化するかどうかを調べるため、被験者に見知らぬ他人から採取した体臭を嗅いでもらい、脳の活動を測定する実験を行いました。その結果、知らない人の体臭が脳の恐怖ネットワーク(扁桃体と島皮質)を誘発することが分かりました。知らない人の体臭を嗅いだだけで、ヘビを見た時の反応と同じ脳のパターンが誘発されるのです。
このように、体臭も、生存に関わる視覚イメージと同様に前注意処理されていることが分かりました。一方で、友人や恋人の体臭には心を落ち着ける効果があるらしいことも、私たちの研究で示されています。しかし、それが日々の人付き合いにどんな意味を持つのかは不明で、現在も研究中です。

体臭は相手を引きつける? それとも拒否される?

体臭には、自分を補ってくれる体質を持つパートナー選びに役立つシグナルが含まれていますが、研究結果によると、その効果はごくわずかです。それでも、体臭はパートナーを選ぶ上で最も重要な要素の一つに挙げられています。
しかし多くの場合、体臭は相手を引きつけるというより、拒否の理由として使われます。これまでの科学的証拠からいえば、自分自身の化学的シグナルを放つ目的で、わざとシャワーを浴びずにパーティーやデートに出かけるといった行為は避ける方が無難でしょう。制汗デオドラント剤が体臭によるシグナルを消せるのかもよく分かっていませんし、体臭のシグナル効果に関与する化学物質や分泌腺も分かっていません。アポクリン腺(注:汗の出る汗腺の一つ)の関与が考えられますが、それは、アポクリン腺が脇の下や陰部に分布しており、思春期に分泌が活発になるからです。
体を清潔に保つためにデオドラント製品を使ったり、体を洗ったりすることで、体臭が伝達する生物学的メッセージがどのような影響を受けるのかは、生物学的に重要なにおいに関わる化学物質の発生源と性質が明らかになるまでは、仮説の域を出ないのです。

体臭をめぐる未来像

最後に、業界関係者の方々に向けて、基礎研究の枠を超えた構想を少しお話ししましょう。私は、体臭の中に隠れている良い感情や情報のシグナルを引き立てつつ、他人の体臭をあまり不快だと意識しないようにしていく方法を考えてもいい時期にきていると思います。好きな人や、自分に関わりのある人の体臭を嗅ぐと心が落ち着きますから、こうしたにおいをセラピーとして利用することもおそらく可能でしょう。近い将来、気まずい初デートなどはパスして、精製された体臭サンプルを嗅いで未来のパートナーを選べるようになれば、どんなにすばらしいでしょうか。

文:Johan Lundstrom / 訳:キリン食生活文化研究所

<出典>

Lundstrom, J. N., Boyle, J. A., Zatorre, R. J., & Jones-Gotman, M. (2008). Functional Neuronal Processing of Body Odors Differ From That of Similar Common Odors. Cereb Cortex, 18(6), 1466-1474.
Lundstrom, J. N., Boyle, J. A., Zatorre, R. J., & Jones-Gotman, M. (In press). The Neuronal Substrates of Human Olfactory Based Kin Recognition. Hum Brain Mapp.
Lundstrom, J. N., Olsson, M. J., Schaal, B., & Hummel, T. (2006). A putative social chemosignal elicits faster cortical responses than perceptually similar odorants. Neuroimage, 30(4), 1340-1346.
Penn, D., & Potts, W. K. (1998). Chemical signals and parasite-mediated sexual selection. Trends in Ecology & Evolution, 13(10), 391-396.
Yamazaki, K., & Beauchamp, G. K. (2007). Genetic basis for MHC-dependent mate choice. Adv Genet, 59, 129-145.

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