甘味と苦味の感覚の進化 Gary K. Beauchamp

進化と苦味

ヒトに苦味を感じさせる化合物への拒否反応は、動物を分類する上での最も大きな区分である「門(Phylum)」を超えて一般的にみられ、毒性化合物の摂取を避けるための反応だとされています。ただし、苦味のある化合物への感受性は多くの種で異なり、これは生態学的地位および食物選択の違いの結果であると考えられます。
ヒトに関する研究では、ある種の環境の中では、苦味に対する拒否反応がなくなることが示唆されています。例えば、適度の苦さのコーヒーや紅茶、ビールなどのアルコール飲料が好んで飲まれることが挙げられます。
一般的には、こうした飲料に含まれるカフェインやエタノールなどの成分の効用によって、行動が強化され、習慣化すると考えられています(モネル研他)。また、長期間にわたり苦い飲み物や野菜に接した個人や民族が、それらの苦い食品を選択するようになった場合もあります。
とはいえ、モネル研の研究では、ほとんどの場合、苦味は拒絶され、特に乳幼児や子どもにはその傾向が強くみられることが分かっています。子どもの苦味に対する強い拒絶が、進化の過程で獲得された用心深さによるものかどうかは議論の分かれるところですが、もしかすると、子どもには毒性のある苦い化合物の摂取について特有のリスクがあるのかもしれません。

苦味とその生理作用

苦味に対する生まれつきの拒否反応が、不利に働くこともあります。例えば、野菜に含まれる多くの重要な栄養素には、多少の差はあれ、苦味があります。また、抗酸化作用や抗炎症作用のある天然の化合物にも、一般的に苦味がありますが、これらは積極的に摂取するよう推奨されています。
おそらく、苦味に対する反応は、経験の中から、健康を増進する苦味のある食品の価値を学習できるよう、柔軟性をもって進化してきたものと思われます。モネル研は、どうすれば人類、特に子どもが、もう少し苦いものを食べられるようになるか、苦味のある健康的な食品を摂取することができるかに興味を持ち、現在も研究を続けています。
実際、ある種の動物は病気になると、健康なときは決して口にしない苦い植物を食べるようになるという興味深い研究もあります。おそらく、そうした植物には病気を治す効果があるのでしょう。このように、特定の苦い化合物が持つ医薬的価値は、個人的な経験や社会的な学習によって習得されうるのです。

人類の進化における甘味と苦味の意味

旧世界霊長類から最初の人類が分化したと考えられる数百万年前には、甘味を好み、苦味を嫌う傾向が、すでに存在していたことでしょう。そして、人類の進化の過程で、特に火の発見に始まる食品の加熱調理、農耕、牧畜を行うようになった過去3万年の間に、甘味と苦味の感覚の基礎となるメカニズムに大きな変化が起きたと思われます。具体的にどのような変化があったかは未だ不明ですが、現存する類人猿や、他の旧世界ザルとの比較研究、民族グループごとの違いを研究することによって、この興味深い問題の答えは、明らかになっていくでしょう。

文:Gary K.Beauchamp / 訳:キリン食生活文化研究所

<出典>

Firestein, S. and Beauchamp, G.K. (eds.) The Senses: A Comprehensive Reference: Volume 4, Olfaction and Taste. Oxford: Elsevier Press, 932,2008.
Bachmanov, A.A. and Beauchamp, G.K. Taste receptor genes. Annual Review of Nutrition 27: 389-414,2007.
Mennella, J.A. and Beauchamp, G.K. Understanding the origin of flavor preferences. Chemical Senses 30: 1: 242-243,2005.
Glendinning, J.I. Is the bitter rejection response always adaptive? Physiology & Behavior 56: 6: 1217-1227,1994.

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Q&A

Q.1 私たち人間に備わっている甘味の受容体は1種のみで、拒否しながらも学習して覚える苦味の受容体は25種あることが分かっています。とても興味深い点ですが、この味覚の受容体の数と今回のテーマとは、関連性がありますか?

A.1
甘味の受容体は、受容体の複合体だと考えています。T1R2とT1R3という2種の甘味受容体が組み合わさり、一つの受容体として、甘味分子に反応します。
一方、苦味については、人間には36種の苦味受容体がありますが、実際に機能しているのは25種の分離型のT2R受容体のみで、残りの11種は偽受容体遺伝子といわれています。この11種類は、人間が生活する過程で退化したといえるかもしれません。
このT2R苦味受容体遺伝子は、4億5千万年前に、わずか2~3個からほとんどの脊椎動物に派生しています。魚の苦味受容体の数が3~4種であるのに対し、犬が19種、牛が29種、ネズミが41種であるように、苦味はあるが重要な栄養素が含まれる植物を摂取している動物ほど、苦味受容体遺伝子が多いとすれば興味深いことです。
(※他の動物に関する受容体の数については、図を参照してください)

<出典>

Yasuhiro Go; Lineage-Specific Expansions and Contractions of the Bitter Taste Receptor Gene Repertoire in Vertebrates.Mol.Biol.Evol.23(5):964-972.2006