第4回 塩分のとりすぎと塩味 Gary K. Beauchamp

今回は、「食塩」がテーマです。いまや、多くの国で塩分のとりすぎが健康上の問題になっています。塩味の好みはどこから生じるのか、どうすれば塩分の摂取量を減らすことができるのか、モネル化学感覚研究所のギャリー・ビーチャム所長に書いていただきました。

人類と塩の歴史

塩は、古くから人類にとって貴重な存在でした。古代ローマでは兵士の給与が塩で支給されたといわれています。中国やヨーロッパ諸国では塩に対して課税され(塩税)、一揆や暴動の原因にもなりました。1930年には、インドの指導者ガンジーがイギリス植民地政府の塩の専売に抗議して「塩の行進」を行い、独立を勝ち取る大きな力になったこともよく知られています。
こうした塩をめぐる状況は、生産技術や流通手段の発達によって大きく変わりました。現在では、塩が不足するどころか過剰となっている国も多く、塩分のとりすぎが健康上の問題になっています。塩に対する味の感覚や、病気の原因との関係などを研究することで、私たちは、もっと有効に塩を利用できるようになるでしょう。

塩はなぜしょっぱいのか

塩味は、苦味や甘味が多様な刺激を持っているのとは対照的に、苦味、酸味、甘味、うま味といった他の基本味の刺激を持っていません。 塩の主成分である塩化ナトリウムと、塩化リチウムは、ただ塩辛いだけの物質です。
これは、私たちの体に、塩味を感知する特異なメカニズムが備わっていることを示唆しています。このメカニズムは、塩味の基本的なイオンであるナトリウムイオンを透過させ、腎臓でのナトリウム制御に使われているENaCというイオンチャネルに特異的なものと考えられます。EnaCは、口の中では塩味の受容体でもあるといえます。
この仮説は興味深いものの、完璧には証明されておらず、EnaC以外にも、複数の塩味受容体が存在する可能性があります。こうした未発見の受容体がいずれ解明されれば、ナトリウムイオンを使って塩味を増強する、新たな塩味増強剤の開発にもつながるでしょう。

人はなぜ、塩分の多い食事を好むのか

動物の多くは、体内に塩分が不足すると、塩分を求めて「塩なめ行動」をします。しかし、これは人間には当てはまりません。人間の場合、十分な量の塩分が食事に含まれているので、通常は塩分不足にならないからです。にもかかわらず、もともと塩分の多い食事に、さらに塩を加えて食べる人が多いのはなぜでしょうか。 第一の仮説は、草食動物と、一部の雑食動物は、本能的に塩味を好むというものです。この理論では、機会のあるごとに塩分を摂取するのが動物には有益とされます。とりすぎた塩分は、腎臓の働きで容易に排出できるので、一部の成人性糖尿病を除けば、この行動によるリスクはありません。ナトリウムの多量摂取は、突然の脱水症状を予防するための進化上の必要性を反映したものだという仮説もあります。

発育に伴って変化する味の好み

第二の仮説は、栄養士や栄養学者、医師などに支持されているもので(*)、幼少期に食塩を摂取した経験が、その後の塩への欲求を高めるというものです。この仮説を証明する根拠は、断片的なものしかありません。しかし、食塩や塩味の食べ物への嗜好が、本能と学習の相互作用によって生じることは確かだといえるでしょう。
例えば、生まれて間もない赤ちゃんは塩に関心がなく、塩分の濃度が高いものは拒絶します。そして、生後4~6カ月になると、血液の浸透圧に近い、低中濃度の食塩水を好むようになります。こうした発育に伴う好みの変化は、生まれつきの転換メカニズムまたは神経メカニズムの成熟に関係すると思われますが、塩分を含む食品の摂取経験も影響しているかもしれません。
我々は、生後2カ月から6カ月の間にでんぷん性食品を摂取した乳児は、そうでない乳児に比べ、塩分を好む傾向が強くなることを発見しました。でんぷん性食品は、塩分と共に摂取される傾向が強いことから、この違いが生じた可能性があります。受容体が発達する重要な段階に食塩を摂取することで、身体の末梢と中枢に恒久的な変化をもたらし、子どもや大人の摂食行動に影響を与えている可能性もあります。この問題は公衆衛生と関係が深く、調査が強く望まれる分野といえます。

*MacGregor & de Wardener, 1998など

環境の影響

さらに、環境の影響も考えられます。地球上には、塩分の摂取量が非常に少ない国や地域も存在します。それは、欧米のような塩分摂取量の多い社会が、慣習と商業的な誘導によってつくられたものであることを示唆しています。塩分摂取量が少ない社会の多くは、食塩の入手が困難な結果、そうなっています。一方、食塩が安く手に入りやすい社会では、どこでもほぼ同量の食塩が消費されていますが、その理由は解明されていません。