私たちをとりまく空間のにおい Pamela Dalton

今回は、においがテーマです。モネル化学感覚研究所のパメラ・ダルトン教授に、自宅や職場、地域を取りまく環境臭気と、そのにおいの受け止め方について書いていただきました。

人によってとらえ方が異なる、生活空間のにおい

視覚や聴覚に比べて軽視されやすいのが嗅覚ですが、人間の嗅覚は、進化論から見ても、現実生活においても、非常に重要な感覚です。私たちは、においを感じ取ることで、環境に対応するための情報を得ることができます。例えば、パンを焼く香りが店頭から漂ってくると、食欲がわいて「この場所にとどまりたい」という気持ちになりますが、それが生ゴミの腐臭であれば、「一刻も早く逃れたい」との衝動が生じます。
しかし、私たちが普段生活している地域や自宅、職場などのにおい(以下、環境臭気といいます)については、とらえ方に個人差があります。それは、においに敏感な人とそうでない人がいるように、感覚の違いからくるものと考えられてきましたが、近年の研究によって、別の可能性も出てきました。それは、そのにおいにさらされることでどんな結果になるかという考え方や予測が影響しているというものです。

環境臭気がもたらす健康への影響

環境臭気が健康に影響を与えるという考え方には、長い歴史があります。例えば、細菌病原説が登場する以前は、不快なにおいが病気を媒介し、よい香りは病気を癒やすと考えられていました。現在も、環境臭気が原因で病気になるという考え方は一般的です。また、アロマセラピーに代表されるように、ある種の香りが心身の健康を促すという考え方も知られています。
においは、重要な信号(シグナル)でもあります。住宅地やビルの内部で異様なにおいや不快臭が発生すれば、住民は動揺し、警戒感を抱きます。環境臭気や空気汚染による健康被害を懸念する風潮も広まっており、農薬が散布されている地域や、汚染源と思われる工場付近の住民が健康被害との関連を疑う一番の根拠も、多くの場合は環境臭気です。

においの印象は、その人の経験によって異なる

においが健康に悪影響を及ぼすメカニズムについて、嗅覚の科学者たちが説得力のある報告をしています。それは、ほぼすべての揮発性化学物質は、においを発生させるだけでなく、高濃度になると上気道内にある複数の感覚神経を刺激し、目と鼻、気管を刺激するというものです。この刺激による違和感は、その場所の空気が清浄かどうかを人が判断する際の最も重要な要素になります。

しかし、刺激を感じないほどの低濃度でも、人によっては拒否反応が表れることがあります。つまり、拒否反応は、刺激だけが原因とは限りません。また、背景的な要因もあります。例えば、メントールやサリチル酸メチル、ユーカリ油などには刺激臭がありますが、拒否反応ではなく肯定的な反応がみられます。その背景には、これらのにおいを嗅いだ経験があり、においに慣れていることなど、個人的な経験の有無が大きく関係していると思われます。 モネル研の調査では、人はなじみのないにおいを嗅ぐと不快に感じ、食品だとわかっていても未知のにおい(外国人にとってのワカメや納豆など)に対して、単純に「嫌い」ではなく、「病気になりそうだ」など、本来予想される反応と異なった反応をすることが示されています。また、IAT(潜在連合テスト)を用いた研究では、人は、においの概念から、健康よりも病気を連想することが分かっています。