私たちをとりまく空間のにおい Pamela Dalton

先入観による影響を測定

特定のにおいを嗅いだ経験や、においへの慣れ、においによって生じる結果への予測が、環境臭気に対する認識や反応にどう影響するのか、私たちは一連の研究を行っています。
空気などにさらすことを「曝露」といいますが、曝露室内で、被験者の全身を20分間、マニキュア除光液のようなにおいのするアセトンという臭気物質にさらす実験を行いました。そして、曝露中に自覚したにおい、感じた刺激の強度、曝露後の主観的な健康状態(症状)など多岐にわたる項目で、被験者の反応を測定しました。
その際、経験による違いを調べるため、仕事や居住地などの関係で普段からアセトン臭にさらされている人と、そうでない人を比較しました。また、その場での先入観による変化を見るため、曝露前に、「健康によいものですから安心してください」「健康に害を及ぼすかもしれませんが、20分程度なら大丈夫です」といった、プラス、マイナス、中立の先入観を被験者に与えました。被験者の中に“サクラ役”の人を入れ、事前の打ち合わせどおりに否定的または肯定的な反応を示してもらうことで情報を与える方法も取り入れました。

においに対する反応は、経験や、与えられた情報に左右される

実験の結果、被験者が自覚したにおいや刺激の強さは、においの源について与えられた情報によって大きく変化することが分かりました。曝露前に情報を与えた場合も、“サクラ役”の演技による情報でも同様です。ただし、いずれの場合も、曝露による症状を自発的に報告する頻度は、知覚するにおいの強さによって異なりました。このことは、症状の自覚は、情報ではなく、においそのものの認知に関連または誘発されることを示唆しています。
経験による違いも明らかです。普段からそのにおいに慣れている人は、ほんのわずかであってもそのにおいを知覚し、曝露による症状をほとんど自覚しないことが、多くの実験から分かっています。

知らない間に環境臭気にさらされている危険性

室内の空気環境を改善するには、においに対する感覚的な反応と、心理的な反応との相互作用を理解することが重要となります。
化学物質のにおいに短期間または長期間さらされることで生じる健康被害について社会的な関心が高まっていますが、この関心がさらにエスカレートすれば、害のない低濃度の臭気にまで敏感になり、不安の対象になることも予測されます。私たちの研究は、公害を抑制する措置が取られたとしても、すべてのにおいを消し去らない限り、住民の不安を解消することはできないことを示唆しています。

先述したように、人間は、においに慣れてしまうと、症状をほとんど自覚しないものです。しかし、自分ではさほど健康被害を感じなくても、実際には危険なにおいである場合もあります。嗅いだことのない未知の環境臭気に一定期間曝露されたときの健康への影響を判断するうえで、環境臭気の危険性と、客観的にみた実際の危険性の関係を人々が学べるよう、効果的に情報公開することが大切です。
個人的な主観に基づいて、空気汚染による健康被害を受けているのではないかと病院で訴える人も多くいます。今後も引き続き、健康被害と環境臭気の関係を科学的に研究することが、科学者と医師の双方にとって有益だといえるでしょう。

飲み物や食べ物への反応

飲食物に対する反応についてはどうでしょうか。その飲食物に普段から親しんでいても、少しでも不快なにおいや味を感じると、害になる可能性があるとみなし、飲み込むのを躊躇することがあります。また、食べ物や飲み物への反応は、味や香りだけでなく、どんな情報によってその品物に期待感を抱いたかというプロセスにも影響されます。飲食品業界では、風味や味、香りと同じくらい、商品のパッケージや広告などにも気を配ることが重要だといえるでしょう。

文:Pamela Dalton/ 訳:キリン食生活文化研究所

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Q&A

Q.1 懐かしいにおいを嗅ぐと、ふと思い出がよみがえることがあります。なぜ、においと記憶は直結しやすいのですか?
A.1
五感の中では、嗅覚神経が脳に一番近いところにあり、直接的に記憶や感情をつかさどる大脳辺縁系(古い脳)を介して第1次嗅皮質に投射されるといわれています。それが、嗅覚と記憶が結びつきやすいといわれる所以です。嗅覚には、途中にシナプスという感覚細胞と神経を結びつける関節のようなものがないのも特徴的といえるでしょう。しかし、なぜにおいがこれほど感情を呼び起こすのかを証明する確実な方法はまだ分かっていません。
Q.2 人が感じるにおいには、鼻先でにおいを嗅いで分かる「鼻中香(オルソネーザルアロマ)」と、食べ物を口に入れて噛んだときに、のどの奥から鼻に抜けて感じる「口中香(レトロネーザルアロマ)」がありますが、これらが食事の好き嫌いを決めるのでしょうか。
A.2
口中香は、食べ物を食べたり飲んだりしたときの口の中で起こる変化の記憶に貢献していますので、好き嫌いを決める大きな要素のひとつと言えます。においが好まれなくても食べてみると好まれる食べ物がある所以でしょう。
噛み砕いたり、自分の舌でよく混ぜたりするときに生じるにおいや、飲み込んだ後のにおいも口中香そのものです。また、鼻中香は食欲をそそるきっかけにもなるものですから、食べ物や飲み物のにおいはとても大事です。風邪をひいて鼻が詰まっていると、味が感じなくなり、「味がしない」と表現する人が多いですが、実は鼻が詰まっているために、この口中香が広がらないことが原因だといわれています。
Q.3 アロマセラピーが流行していますが、それはなぜでしょうか。また、パーソナルケア商品に、フルーツやハーブの香りが多く使われるのはなぜだと思いますか?
A.3
においは、私たちに危険を察知させるシグナルでもあり、生存に必要な食物やエネルギー源を知らせる魅力的なシグナルでもあります。アロマセラピーは、人々に快感や鎮静感を与えたり、エネルギッシュにさせたりする香りに人気があります。これは、人々が快感や鎮静感、あるいはエネルギーを求めていることの表れかもしれません。そういう意味でも、フルーツやハーブの香りが好まれるようになったのは、不況の時代だからかもしれません。フルーツやハーブの香りで、生存に必要な満足感を代替しているともいえるでしょう。