病気による体臭の変化 Kunio Yamazaki

乳がんと、尿のにおいとの関係

乳がんと体臭についての研究に使用するのは、マウス乳がんウイルス(MMTV)です。腫瘍が発達したり、症状が現れたりする前の初期段階で、乳がんウイルスへの感染を尿のにおいで識別できるかどうか、マウスを使って実験しました。すると、マウスは、乳がんウイルスに感染したマウスの尿を、高い確率で識別することができました。遺伝的に同一なマウス間でも、乳がんウイルスが存在するか否かを、尿のにおいで識別できたのです。
ウイルス感染したマウスの尿の中で、揮発性成分がどのように変化しているのか、そのメカニズムはまだ分かっていませんが、ウイルスになる前のプロウイルスゲノムを注入したマウス(トランスジェニックマウス)でも尿のにおいを識別できたことから、ウイルスそのものよりも、感染したマウスの免疫系の変化によるものともいえます。このように、感染後の免疫機能の変化は、病気の診断に使える特異的な揮発性のシグナルを生じていると考えられます。最近では、ヒトの乳がんも、マウス乳がんウイルスとよく似た、あるいは同一のウイルスに関係していることが報告されています。

尿のにおいによる、肺がんの検出

次に、肺がんの例を紹介します。肺がんは、かなり症状が進んだ段階での治療や回復が困難なことから、新しい早期診断技術の開発が必要です。そこで我々は、身体を傷つけずに採取できる尿を使って、病気の代謝を調べる生体指標(バイオマーカー)を同定することを試みました。ここで大切なのが、嗅覚で感知できる揮発性な物質を含んでいることです。我々は、2種類のヒトの肺がんマウスモデルを用い、尿に含まれる揮発性物質のパターンの変化が腫瘍の発達の指標になるかどうかを調べました。
マウスの細胞株から得られた肺がん腫瘍は、ヒトの肺の腺がんと形態的にも組織学的にもよく似ています。腫瘍のあるマウスと、腫瘍のないマウスの尿を、乳がんウイルスの実験と同様に嗅ぎ分けるテストをしたところ、マウスは、かなり初期の段階から、腫瘍の有無を尿によって識別することができました。このことから、尿に含まれる揮発性物質は腫瘍の発達と関係しており、腫瘍は、類似あるいは同一の揮発性のバイオマーカーを生じていることが分かりました。

ヒトのがん診断への可能性に期待

さらに、ガスクロマトグラフィーという機械を使って、尿に含まれる揮発性物質を分析しました。すると、前述のマウスによる嗅ぎ分けの実験と同じく、腫瘍のあるマウスと、腫瘍のないマウスとの間に劇的な違いがあることが分かりました。腫瘍のあるマウスでは、多くの揮発性物質が減少していたのです。
これらの実験で、存在が明らかになったにおいの指標は、ヒトのがん診断にも生かせることが期待できます。実際に、米国のペンシルバニア大学医学部と共同で、肺がんの患者さんに提供していただいた尿を使って研究したところ、訓練したマウスは肺がん患者と健常者の尿のにおいを嗅ぎ分けるなど、ヒトの尿でも嗅覚を用いて検出が可能であることが分かりました。
また、マウスではなく、電子鼻(E-nose)や人工鼻(Artificial nose)などを使って、体臭や感染状況を測定する可能性も検討されるべきでしょう。
体臭は、一般に考えられている以上に、ヒトの行動や生理的な反応に大きく関係しています。今後も一層、この分野の研究を継続・発展させていくことが重要だと考えています。

文:Kunio Yamazaki 山崎邦郎/編集:キリン食生活文化研究所

<出典>

山崎邦郎、(1999):.においを操る遺伝子 工業調査会,
Yamazaki, K., Boyse, E.A., Bard, J., Curran, M., Kim, D., Ross, S.R. & Beauchamp, G.K. (2002): Presence of mouse mammary tumor virus specifically alters the body odor of mice. Proc.Natl.Acad.Sci.USA, 99: 5612-5615
Matsumura, K., Opiekun, M., Oka, H., Vachani, A., Albelda, SM., Yamazaki, K. and Beauchamp. GK.(2010):Urinary Volatile Compounds as Biomarkers for Lung Cancer: A Proof of Principal Study Using Odor Signatures in Mouse Models of Lung Cancer. PLoS One, 5, 1:e8819