においの秘密を探れ Graeme Lowe
私たちは、どのようにしてにおいを感じているのでしょうか。嗅覚のメカニズムはどのようになっているのでしょう。100年以上にわたる研究の歴史を振り返り、モネル化学感覚研究所(以下、モネル研)のグレム・ローエ博士がご紹介します。
研究が遅れていた味覚・嗅覚のメカニズムの解明
人間や動物は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という五感を通じて周囲の世界を把握し、そこに働きかけて暮らしています。私たちの五感は、どのように機能しているのでしょうか。私たちはなぜ、映画を観たり、音楽を聴いたり、繊細な布の手ざわりを感じたり、ビールの苦味を味わったり、淹れたてのコーヒーの刺激的な香りにうっとりしたりできるのでしょうか。100年以上も前から、科学者たちはその答えを探し求めてきました。その結果、視覚や聴覚のメカニズムの理解は大きな前進を遂げました。私たちは、目の視細胞がどのように光に応答するか、耳の有毛細胞がどのように音に応答するかを知ったのです。しかし、味覚と嗅覚については、舌や鼻の細胞が異なる刺激にどのように応答するかを正確に調べることが難しく、研究が遅れていました。
嗅覚の理解を進展させた2つの大発見
約20年前、嗅覚の理解を進めるうえでの2つの大発見(ブレークスルー)がもたらされました。1つめは、鼻の感覚細胞は、においを嗅ぐと、細胞がにおい情報を脳に送ることを可能にする特別な信号分子であるcAMP(サイクリックAMP)を作り出すことが発見されたことです(*1、*2)。2つめの大発見は、1991年に訪れました。リンダ・バックとリチャード・アクセルが、におい分子を認識し、検出する、特別なタンパク質である嗅覚受容体をコードする巨大な遺伝子ファミリーを同定したのです(*3)。注目すべきは、この遺伝子ファミリーのサイズです。人間の鼻には350種以上の、マウスの鼻には1000種以上の異なる受容体が存在していたのです。この受容体の多様性が、私たちに膨大な種類の化学物質を異なるにおいとして嗅ぎ分ける能力を与えています。とはいえ、何百、何千もの受容体が集める膨大なにおいの情報を処理するのは、脳にとっては大変な仕事です。脳はその情報をどのように処理し、無数のにおいを認識しているのでしょうか?
1800年代のカハールの研究
その疑問を解く手がかりになったのは、著名な神経解剖学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハールの研究でした。カハールは、ゴルジの銀染色法を用いて、嗅球(鼻から届くにおいの情報を脳が最初に受け取る場所)の構造を明らかにしていました(*4)。嗅球には糸球体という球状の構造が数多くあることが分かり、後になって、においの符号化の基本単位であるという仮説が立てられました(*5)。それから長い年月を経た後に嗅覚受容体が発見され、さらに、遺伝子標識技術を使った実験により、鼻の感覚細胞の神経軸索は、同じ受容体を持つものは同じ糸球体に集まり信号を送り、異なる受容体の細胞は異なる糸球体に信号を送ることが明らかにされ、先の仮説は裏付けられました(*6)。つまり、吸い込まれたにおいは嗅覚受容体に捉えられ、その分子の構造がプロファイリングされ(輪郭として描かれ)、そして、糸球体の精密なパターンとしてマッピング(地図を描くように精密に識別)され、においの化学組成をユニークに同定することになるのです(*7)。