「食」を考えるKIRIN・東京大学パートナーシッププログラム 2009年度

2009年度のテーマは、「作り手と食べ手にとっての、良い食べ物、良い食べ方」。食の背景にある社会・文化・科学的な営みを多面的に学ぶことで、「考えて食べる」ことを目指し、駒場祭や公開セミナーでの発信も行いました。

キリン公開セミナー ~2009年度総括発表会

キリン食生活文化研究所は、1月30日(土)「キリン公開セミナー」を開催。その第一部に2009年度「食」を考えるKIRIN・東京大学パートナーシッププログラムの総括発表会として、東京大学理事・副学長の小島憲道先生の基調講演の後、東京大学科学技術インタープリター養成プログラム5期生による、ワークショップを通じて考えた「良い食べ物、良い食べ方」についての発表が行われました。

キリン公開セミナー 第一部
〈『食を考える』キリン・東京大学パートナーシッププログラム〉

日時: 2010年1月30日(土)10:30~12:00
場所: 日本科学未来館 7階 みらいCANホール
  • 開会挨拶:東京大学科学技術インタープリター養成プログラム 特任教授 山科直子
  • 基調講演:「リベラル・アーツ教育としての食育-生涯の健康、そして人生の豊かさのために」 東京大学理事・副学長  小島憲道
  • 学生からの発表:私たちの考える「良い食べ物」「良い食べ方」
  • 講評:東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系教授 渡邊雄一郎
    キリンホールディングス株式会社 常務取締役 大和田雄二

キリン公開セミナー 第二部
キリングループ「商品開発におけるおいしさの探究」の紹介

  • 基調講演
  • パネルディスカッション

「リベラル・アーツ教育としての食育-生涯の健康、そして人生の豊かさのために」 東京大学理事・副学長 相関基礎科学系教授 小島憲道

東京大学で「食」のワークショップを行う意味とは

なぜ、大学という高等機関のリベラル・アーツ教育で食育を取り上げるのか考えてみる時、一般教養とリベラル・アーツの違いに私どもは気づかされるでしょう。
同志社大学教授の麻田貞雄先生が著書『リベラル・アーツへの道』の中で、イェール大学のグリスワルド元総長の言葉を紹介されています。「リベラルアーツの目的は、個人が各々選択するキャリアに入る前に、そのキャリアに可能な限りの知性、精神的能力、判断力、そして徳性をもたらすことができるように、知的精神的な力に目覚めさせ、陶冶させることにある。われわれの目的は男女の学生を単に知的な追求だけでなく、人生のための準備を施すことにある」
文系の学生にとっては科学リテラシーが、理系学生にとっては社会リテラシーが必要です。また、リベラル・アーツ教育の中で求められるものとして、コミュニケーション能力、批判的思考、美的感受性、そしてなによりも自己マネジメント能力が重要なのです。

何故、大学のリベラル・アーツ教育で食育を?

味覚の豊かさから人生の豊かさへ

食育とは、健康のため、社会文化を知るため、そして一人ひとりの人生の豊かさのために必要だと思っています。味覚の豊かさを通して、食べ物のおいしさ、食材の豊かさを体験できるようになる。こうした味覚の豊かさは、基本は手作りの家庭の料理が育むものだと思っています。
おいしさは味だけでなく、香り、舌による食感、歯ごたえ、のどごし、これらすべての相乗効果によって、感じられるものです。例えば、天然鮎のおいしさは、淡泊な味に加えて内臓の苦さ、あるいは水中の岩の苔を食べることによる独特な香りがありますが、それらの相乗効果によって私どもは天然の鮎を楽しんでいるんですね。
また、味覚の豊かさを通して、体が必要とする食材を知ることも必要となってきます。

おいしいと思うのは体がそれを必要としているから

おいしく食べるということは、おいしいと思っている好みと、体が欲しがる食材のバランスだと思っています。ペルーにいるコンゴウインコが群れをなして土を食べるのは、普通の食物では摂取できないミネラル分をほしがっているからなのです。
江戸時代に貝原益軒が記した『養生訓』にも次のように書かれています。「好ける物は脾胃のこのむ所なれば補となる。されど好けるまゝに多食すれば、必ずやぶられ、好まざる物を少し食らふにおとる。好む物を少し食はゞ益あるべし。」
体が欲しがるものは、人間に必要なミネラルの不足から来るのですがそれを多食すると今度は毒性になるということを、私たちは昔から経験を通して知っていたのです。

五感で味わう日本各地の食の恵み

学会で色々な土地へ行く際、その土地ならではの名産を楽しむようにしています。
例えば山形県で体験した、軒下で売られている皮が破裂した完熟のサクランボのおいしさ。当時は京都大学にいたのですが、関西まで来るサクランボは完熟しないサクランボだったため、それまではあまりおいしいとは思っていませんでした。完熟したサクランボの濃厚な甘い香りが広がるなんともいえないおいしさは忘れられない体験のひとつです。旅の供は『日本珍味の旅』という本です。秋田県で畑のキャビアといわれるトンブリも、この本で初めて知って味わったものの一つです。
また、子どもの頃から自ら畑で野菜を作り自ら調理するということをやってきたのですが、そのことで自然の恵みへの知識と感謝、農業・水産業への理解を体験することができました。野菜によってアルカリ性の土壌を好むものもあれば、逆に酸性を好むもの、連作を嫌うものがあります。土壌・肥料の工夫によって野菜本来の味と性質が現れるのです。
春になると家族総動員で味噌を作りました。手作り味噌のおいしさは今でも忘れられません。土曜・日曜の味噌汁は家内に代わって私が作っていました。
学会で訪れた土地ではいろんな魚にも出会いました。気がつくと200種類を超えており、刺身、焼き魚、煮魚など、魚の種類と最適な料理方法を知りました。食材の味を引き出す調理の工夫を通して、食品産業、飲食産業の創意工夫を知ることもできました。

味覚を通して知る日本が世界に誇る食文化

食材の最高の味を引き出す食文化も、私たちは味覚を通して知ることができます。裏千家家元の懐石料理を任されていた辻嘉一氏の『料理のお手本』を読むと、食材に対する愛情を強く感じます。野菜や魚など、食材それぞれの旬の味、そして最高の味を引き出す食文化が懐石料理ではないでしょうか。懐石料理や日本が世界に誇る茶道の神髄は、「相手に対する最高のもてなし」なのです。相手を気遣い、また相手の気持ちも知るという、食を通してのコミュニケーションは日本の伝統的な精神であると思います。
このように、大学のリベラル・アーツ教育の中で食育を考え、それを通して社会を知り文化を知るということは、人生を豊かにするものである、と考えております。