未来のヒント

弱く多様なつながりの大切さ~前野隆司さんに聞く〜

今回は慶應義塾大学SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科教授の前野隆司さんにお話を伺いました。前野さんはもともとロボット開発のエンジニア、その後人間の脳と心の問題を研究、そして幸福学の研究者としても知られています。その他能力開発の手法としてシステム×デザインシンキングのワークショップなど、多方面に広がる活動をされていますが、一貫して人間の心の問題を解き明かそうとされているようです。
今回は前野先生が提唱している幸福学の4つの因子について伺ってみました。4つの因子とは「自己実現と成長」、「つながりと感謝」、「前向きと楽観」、「独立とマイペース」です。その中で特につながりと感謝に焦点をあてて伺いました。

強い中心と広く弱い多様なつながり

弱く多様なつながり(弱い紐帯(ちゅうたい))が重要だと言われています。弱いつながりとはどういうつながりでしょうか。反対の「強い」つながりについて考えてみましょう。強いつながりとは、会社内の人間関係、家族の人間関係など、嫌だからといって簡単には抜け出すことができないつながりです。それに対して、年賀状を交換する程度の親戚であるとか、たまに会う友人などは弱いつながりになります。前野さんが行ったアンケート調査では、こうした弱くかつ多様なつながりのある人の方が幸せだと答えている割合が高かったそうです。もちろん、家族や会社のつながりが幸せではないということではなく、中心に強いつながりを持ちながら、その周りに緩やかに弱い多様なつながりが広がっているような状態の人が幸せだと感じるようです。それはレジリエンス(予想外なことに対しての防衛力や回復力)をもちあわせたセーフティネットとしての役割にもつながるでしょう。知り合いに医者や弁護士、建築家や栄養士など様々な職業の人がいることは安心感につながりますし、多様な人の知見を活用することは自らの能力の拡張にもつながります。
また、広がるネットワークによって、世界は意外に狭いのだという事実にも直面します。自分と社会の距離をつながりの中から感じとり、孤独感からのがれることにも通じるというべきでしょう。

直接会うことが大事

一方で、現代社会では、ネット上でまったく会ったこともない人とつながっていく状況もみられます。こうした希薄なネットワークでは、実際に会って得られるコミュニケーションによる大事な情報を見落としてしまいがちです。人は会って話すことで多くの情報を得るものです。Skypeなどで話す場合も、一度会ったことのある人であればスムーズに話せますが、見知らぬ人とのコミュニケーションは難しいものです。このような希薄なつながりと、先ほど述べた弱いつながりとはまったく違うのではないでしょうか。

芝の家

私たちは今回の取材にあたって、事前に前野さんにご紹介いただいた「芝の家」というプロジェクトを見学してきました。これは東京都港区芝の住宅街にある、港区と慶應義塾大学が協働で運営するコミュニティ拠点です。ここでは、あえて目的をもったプログラムを作らないことで、人々が自発的にコミュニティを作り出していけるかどうかの観察が行われています。建物にも工夫があります。近所の人がだれでも自由に入れるようにガラス張りになっていたり、外との境には縁側があり、ちょっと腰かけたり、外から中の人と交流できたりと、想定外の出会いが生まれます。すでに運営が始まってから8年半が経ち、自然発生的にいろいろな活動が次々と生まれています。前野さんが言われる幸福の4因子である「自己実現と成長」を起点に独自の活動を始める人もいれば、「つながりと感謝」を起点に仲間づくりに励む人もいます。それぞれの考えで自然と幸福感を手に入れていく様子を観察できたのです。確かに我々が取材をした時も、ちぎり絵をしているグループ、マッサージを楽しんでいるグループ、お茶を飲んでゆったりしている人、中の人に声をかける通り掛かりの人などなど、子供も大人も入り混じって様々なことが行われていました。スタッフは何かを主体的にリードするのでなく、ただ見守り、気を配り、人が覗いていたらどうぞと声をかけるのです。

  • 縁側の外から中の様子を眺める人も。
    気軽に誰もが立ち寄れる。
  • ちぎり絵を楽しむ常連の方々。
    手前はスタッフの滝沢さん。
  • スタッフの若藤さん。
    もうすぐ4歳の上のお子さんは小さい頃からこの場所でいろいろな世代の人たちと一緒に過ごして来たという。

目的をもたないコミュニティについて

ミラツクのサイトより:ワークショップ風景

同じような事例として、「ミラツク」という西村勇也さんの活動についてもご紹介いただきました。「ミラツク」は2008年から始まった組織です。今では新しいものづくりやサービスづくりのプラットフォームになっていますが、初めはダイアローグカフェという、ただ人を呼び、話を聞き、食事をするということから始めたグループでした。今もミラツクでは、明確な目的や行動を決めずにやってきた人と人が出会うことにより、自然にものづくりやサービスのためのコラボレーションやアイデアが生まれているそうです。
これらの事例の共通点は、オープンさ、フラットさ。フレキシビリティを持ったコミュニティで多様な人と人がふれあうことと、そこから先ほどの幸福の4つの因子が自然に湧き出るように設計されているということです。

企業の中で新たな事業を生み出すこと

こうした自然発生的な事例とは反対に、企業では、新しいことを生み出すための組織が作られることがあります。しかし、既存の硬直化した組織からはなかなか新しいアイデアやイノベーションは生まれにくいようです。それよりも、組織にとらわれず、誰かが自由に考えた新たなアイデアに共感して、自然とその周りに人が集まってくるような活動から、新しいことが生み出されるケースが多いそうです。

私たちキリン食生活文化研究所では、飲みものをとおして人のつながりや創造的な場をどう作っていくのかをテーマとしています。今回の取材で出たような自然発生的な場づくりはますます広がっていくように感じます。その時に、飲みものについてだけ考えるのでなく、そこで自由に対話やコミュニティが立ち上がっていく創造的な場づくりのあり方についても考える必要がありそうです。
みなさんのご意見をお寄せください。

プロフィール

前野隆司(まえの・たかし)
1984年 東京工業大学工学部機械工学科卒業
1986年 東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了
同年 キヤノン株式会社入社
1993年 博士(工学)学位取得(東京工業大学)

その後慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て
2008年 SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科教授
2011年 SDM研究科委員長
1990年-1992年 カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow
2001年 ハーバード大学Visiting Professor。
ヒューマンインタフェースのデザインから、ロボットのデザイン、教育のデザイン、地域社会のデザイン、ビジネスのデザイン、価値のデザイン、幸福な人生のデザイン、平和な世界のデザインまで、さまざまなシステムデザイン・マネジメント研究を行っている。

著書

  • ■『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房、2004)
  • ■『錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった』(筑摩書房、2007)
  • ■『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか―ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』(技術評論社、2007)
  • ■『思考脳力のつくり方―仕事と人生を革新する四つの思考法』(角川書店、2010)
  • ■『電子書籍AiR(エア)』(平安デジャブ──抱擁国家、日本の未来)(電気本、2010)
  • ■『死ぬのが怖いとはどういうことか』(講談社、2013)
  • ■『幸せのメカニズム-実践・幸福学入門』(講談社現代新書、2013)
  • ■『システム×デザイン思考で世界を変える―慶應SDM「イノベーションのつくり方」』(日経BP、2014)
  • ■『幸せの日本論―日本人という謎を解く』(角川新書、2015)
  • ■『無意識の整え方―身体も心も運命もなぜかうまく動き出す30の習慣』(ワニプラス、2016)
  • ■『無意識と対話する方法―あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』(ワニプラス、2017)など多数。

画像提供:PHOTO BY MIKI CHISHAKI

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