電波の届かない山の上でも、スマートフォンに内蔵されているGPSを使って自分の位置を確認できる山登りアプリ「YAMAP(ヤマップ)https://yamap.com」を開発している春山さんにお話を伺いました。春山さんは20歳の頃より山登りを始め、その楽しみを多くの人に伝えたいという想いからこの仕事を始めました。位置確認だけでなく、アプリ上で山の情報をシェアし、新しい仲間ともつながっていける、山を愛する人たちのコミュニティづくりにも取り組んでいます。2013年にスタートして以来、日々改善に向けて、現在では約50人のスタッフが取り組んでいます。徹底してユーザーの使いやすさに目を向けたその改善に「終わりはない」と言います。
YAMAPの主な特徴
多くの現代人が体を使っていない
春山さんは、山登りの楽しさを伝えたいということ以上に、現代人の生活について大きな危惧を抱いています。現代は都市化が進み、自然に触れる機会が激減してしまいました。「自然の中で体を動かさないと、生物としての感覚が鈍ってしまう」と春山さんは話します。人間の体は、獲物をとるために走ったり、手をつかったりするために進化してきたはずです。机の前に座っているだけでは体の機能が活かされません。また、都市化が進むことによって人々は、自然から遠のき、自然の摂理を忘れて暮らしがちです。東日本大震災のように、ひとたび自然災害が起きると、都市機能がいかに脆弱であるか、自分たちがいかにシステムに依存しているかを思い知らされます。「都市生活を営む人々に、もっと体を使って自然とのつながりを感じてもらえる機会をつくりたい」。そんな想いもあって、春山さんは、より安全に山登りするためのサービス「YAMAP」を開発しています。
アラスカでの暮らし
春山さんは2006年に日本の大学を卒業したのち、アラスカの大学に留学し、アラスカでの生活を始めました。そして、念願だったイヌイットの集落に住み、狩人たちと一緒にアザラシ猟へ出かけるという貴重な経験をします。命がけの猟からは、多くのことを学んだそうです。ある時、狩人のリーダーが嵐の中、GPSを使って危機を脱出しました。この時春山さんは、テクノロジーの価値について身をもって実感したそうです。普段、イヌイットの狩人は、雲の形や鳥の飛び方など昔から伝えられてきた知恵を使って天気を予想したりもしますが、「命の危険に備えて、伝統的な知恵だけなく、最先端のテクノロジーを駆使する姿勢に共感した」と春山さんは言います。YAMAP開発の原点は、アラスカでの狩猟の経験にあったと言います。
課題の設定
YAMAPの取り組みは、現代のイノベーション事例として紹介されることも多いのですが、春山さんにとって、イノベーションはあくまで手段、その先にある目的を果たすことこそが大切だと言います。「テクノロジーを活用して、都市と自然をつなぎたい。都市と自然を行き来する仕組みをつくりたい」という強い気持ちが、今の仕事の原動力になっているのです。現在のYAMAPの状況を山登りに例えるなら、「まだ1合目」と言っていました。現在、日本の山登り人口は700万人ほど。「今後、登山人口をもっと増やしていきたい。そのためにも、YAMAPを通して山の楽しさを多くの人に伝えていきたい」と言います。
一見普通にも見えるアプローチですが、多くの新規事業を成功している人の研究を通してのお話からは、偶然事業を成功させるのでなく、何度も成功させていくための鉄則があるようにも思えます。ウルトラCのような特別な方法でなく、当たり前のように見えることを確実にこなしていくことが新規事業成功への早道なのかもしれません。
ユーザーに寄り添う
YAMAPの社員は自ら山へ登るだけでなく、ユーザーとのオフ会へも頻繁に参加しているのだそうです。ユーザーからの要望を直接聞いているのです。とはいえ、ユーザーの要望をすべて取り入れるという意味ではありません。
YAMAPの思想や哲学と照らし合わせて、その要望に応えることが本当に必要かどうかを深く考えます。
ある時、ユーザーのひとりから、こんな要望があったそうです。「標高を音声で教えてくれる機能が欲しい」と。しかし、春山さんは、「山にいる時は、登山そのものを楽しんでほしい。なので、音声機能を入れると、スマホが気になって、登山体験を邪魔することになってしまうのではないか。考えた末、音声機能の実装は見送る決断をした」と言います。ユーザーの要望と自分の想いに違いがある時は、それをしっかり説明し、理解を求めることも重要だと考えています。そのためにもユーザーとの直接のコミュニケーションは欠かせないのです。
春山さんは、よく自分に問うそうです。「今やっていることが、6年前、事業をスタートした時の想いから外れていないか、その時の想いに恥じない形で事業を行えているかどうか」と。目の前の出来事に心を奪われて、大切なことを見落としていないかどうかを考えるのです。
あたらしい山をつくろう
会社設立から6年、YAMAPは山登りアプリとして、国内トップのシェアを誇っています。マネタイズの方向としては、アプリの有料会員や登山者向けの保険の販売だけでなく、YAMAPスタッフが目利きした道具のオンラインショップ(https://store.yamap.com)を、2019年6月にはじめました。「スタッフが本当に良いと思える商品のみを紹介しています。商品の特徴を解説し、商品の良さを知ってもらった上で、購入して欲しい」と春山さんは言います。
ツールの開発から出発したYAMAPの活動、その上で良好なコミュニティを育み、山登りに必要な道具の販売...どれもが、6年前に春山さんが描いた「山登りの価値を広めていきたい」という想いから生まれています。
2018年には、YAMAPの企業理念として、「あたらしい山をつくろう」を掲げました。山登りというと、危険な山にチャレンジして登頂を目指すというようなイメージがあります。しかし、春山さんはもっと多くの人に山を楽しんでもらいたいと思っています。「山への向き合い方を変えていきたい」――そんな想いがこの言葉には託されています。「高い山だけでなく、生活に身近な山や自然を楽しむ価値観も広げていきたい。ユーザーさんとともにあたらしい山の楽しみ方をつくりたくて、この言葉を掲げています」とも話してくれました。
広告タイアップ
もうひとつ力を入れている事業があります。登山や自然を舞台にした、企業の商品プロモーションを想定した取り組みです。もともと写真家になりたかったという春山さんは、映像へのこだわりも人一倍強くあります。自然は大きな力を持っています。自然や山を舞台にすることで商品の魅力が増していく。山ユーザーに向けた広告だけでなく、山を活用した広告に価値を見出しています。この取り組みは、商品の魅力と共に自然の美しさを多くの人に伝えることにも繋がるかもしれません。撮影や編集もすべて自分たちで行うそうです。山を愛する彼らだから撮れる映像があるのです。
データの可視化
春山さんは、取り組んでいる最中だというある映像(https://note.yamap.com/n/n254ea07bd34f)を見せてくれました。山を登った人たちの軌跡を地図上にトレースし、何百人ものデータを重ねた映像です。これによって、人々がどのようなルートで山を歩いているのかが分かります。膨大なデータの蓄積があってこそ、初めて見えてくることがあります。データ活用の面で行政と連携しながら登山道の整備を推進したり、登山口での配車サービスを展開したりするなど構想が広がっているようです。
子どもたちに山登りの体験を
これから始めたいことのひとつに、子ども向けの自然教育イベントを考えているそうです。「自然の中での学びを子どもたちに提供したい」――春山さんは、未来を担う子どもたちに自然の素晴らしさを伝えていきたいのです。自然の中にいると、自ずと仲間と助け合う精神が培われます。自然体験は、人間が本来持つ優しさを取り戻す機会にもなります。優しさは論理でつくられるものではありません、それは生存本能だとも言えます。優しくなければ生きてはいけないのです。こうした感覚は、体験からしか生まれません。春山さんは、正解を与えてそれ以外を切り捨てていくような現代の教育にも疑問を感じています。課題を自ら発見し、仲間と力を合わせながら課題を解決していく力を自然体験で養って欲しいと思っています。自然体験からしか学べないもの、その機会をこれからの社会を担う子どもたちにつくりたいのです。
今回の取材では、春山さんのYAMAPに対する強い想いが印象的でした。日頃からなぜこの事業をやりたいのかということを常に自分に問い直しているからに違いありません。「ブラックホールのような吸引力を、このYAMAPにもつくっていきたい」と春山さんは言います。吸引力とは事業に対する熱量であり、純度だとも言います。この言葉は、彼が「山登りに例えたら、YAMAPの現状はまだ一合目」と言ったことと重なって見えるのです。どうしたら事業を成功させられるのか、イノベーションはどうすれば起きるのかというような方法論ではなく、事業への想いの純度を深めていくこと、それが彼の姿勢でした。
みなさんも一度YAMAPのサイトをのぞいてみてください。そして山登りに是非トライしてみてはいかがでしょうか。
プロフィール
春山慶彦 Yoshihiko HARUYAMA
株式会社ヤマップ 代表取締役
1980年生まれ、福岡県春日市出身。同志社大学卒業後、アラスカ大学へ留学。帰国後、株式会社ユーラシア旅行社『風の旅人』出版部に勤める。その後フリーランスとなり、2011年5月にYAMAPを着想、2013年にローンチ。
2015年4月、スタートアップ企業の登竜門的イベント『B Dash Camp』のピッチアリーナで優勝。
画像提供:PHOTO BY MIKI CHISHAKI