今、世の中の「考え方」というものに大きな変化が訪れています。それは「私」という主体でなく「私たち」という私と他者との関係性の上に世界が作られているという考え方です。今まで規範や道徳または真理や合理性といったものは誰かがつくったものとして理解されがちでした。しかしこの新しい考え方は、あらゆるものが私と周りの社会との関係性によって生み出されていると言うのです。そしてそれは言葉を通して、つまり会話を通して作られていきます。宇田川さんはこうした関係性に注目して「対話」の重要性を話しています。また経営学の専門の立場から、企業の中でこの対話する力をつかって戦略をつくり成功へと導く方法を探っています。
前半をこの対話力とは何かということについて、後半はその対話力をどのように企業の戦略に活かしていくかについて伺いました。
対話力、物語とは
時々、「うちの会社には戦略がない、現場の声が届かない」と嘆く方の声も耳にします。また「自分の意見を上司が理解してくれない」などの声も耳にします。しかし、それでは会社は変わりませんし、身の回りの状況も変わりません。ではどうしたらいいでしょうか。そこでキーワードとなるのが「対話」という言葉だと宇田川さんは話します。
対話とは目の前の問題をすぐに解決することを一度保留し、そもそもこの問題は何の問題なのか、自分や他者は何に困っているのかをよく考え直す実践のことです。対話の集積は「物語」とよばれ、相手との新しい関係性を生み出す思考フレームとなります。
「対話」で大切なのは、いったん自分の思考フレームを脇に置いて、相手の思考フレームに意識を向けてみることです。私たちはそれぞれの個人である「私」が自分を中心にして周りとの関係性を作っています。「私」という主体は絶対的な「私」があるのでなく、その周りとの関係性の中で存在しているといいます。1人の人間も関係性が異なれば様々な「私」に変容しています。会社の中の私、家庭の中の私、友人の中での私、実は、意識としてつながっていても、いろいろな私が他者との関係において現れてきます。たまたまひとつの関係性の中でわかってもらえないときに周りとの軋轢が生まれるのですが、周りがわからないのでなく、「私」と私の周りとの間にある思考フレームが違うのです。「対話」を通じて相手の思考フレームを意識し、物語を書き換えていくことが重要な視点です。これを対話力と呼んでも良いかもしれません。
対話には、準備・観察・解釈・介入といった4つの段階があります。それぞれのステージで大切なキーワードを3つご紹介します。
キーワード1 言葉の背景を読む力
対話力の一つ目のキーワードは人と対話をする時、その背景にある「コンテクスト」を読み込んでいく力を磨く、ということです。例えば、ある場面で、自分の意見が通らなかったとしても、それがなぜ通らなかったのか、反論の言葉の背景にある上司や同僚たちの内面の心情を読み込んでいくのです。もしかすると、その人には、他にもっと気になることがあるのかもしれません。家庭の問題があったり、その人の上司からプレッシャーが掛かっていたり、機嫌がわるかったり、健康の問題があったりというような他の困りごとがあるのかもしれないのです。周りの人に、その人の身辺の状況を聞いたりするのもいいでしょう。他にも解決しなければならない重要な案件を抱えているとか、その提案を通すためには大きな阻害要因があるとかという場合もあります。さまざまな情報を整理していくのです。意見が通らなかったら、それで終わりというのではなく、上司や同僚の言葉の背景にある「コンテクスト」を読み込みながら、よく観察をしていくのです。
キーワード2 人それぞれが違うということ
二つめのキーワードは、「人それぞれが違うということ、分かりあえる部分をみつけていくこと」です。分からない部分がしっかりと分かるようになることで、相手への尊敬の念も生まれます。そして、相手の思考に寄り添うこともできるのです。「相手の分からないところを分かっていく」。当たり前の様に思えますが、この当たり前のことにどこまで真剣に向き合い、解釈できるかが鍵ともいえます。相手に対して自分が分からない部分が分かった時に相手のフレームで考える努力が始まります。私たちは普段相手のことを分かったような気になっていたり、分かっていないのに、適当なコメントをしたり同調したりしてしまいがちです。この分からないことを意識する作業こそがお互いを分かりあうための鍵になるのです。
キーワード3 フィードバックの仕方を考える
三つめのキーワードは「フィードバックの仕方を見直していくこと」です。相手の思考に寄り添い、適切な介入をしていきます。答えを出すのではなく、他の視点を気づかせるようなフィードバックの仕方なのです。否定するのでなく、そのまま受け止めるのでもなく、適切な切り返しをする。これをフィードバックと呼んでいます。適切なフィードバックの仕方を学んでいくことで、本人が自分で考えを進化させ、整理し、答えを出していくようになります。答えを出すフィードバックでなく相手に考えさせるフィードバックです。その答えによってどこに問題があるのか、どこが自分との相違点なのかも明確になっていくでしょう。さらにその姿を見た周りの人も学びを得て、組織全体の思考方法が変わっていくことにもつながっていきます。
いかがでしょうか、こうした対話は簡単なようで奥の深い手法です。日常ではこうした冷静なアプローチをせずに感情に流されるままに行動や発言をしてしまいがちです。みなさんも自分のことをわかってくれないと単純に思ってしまうことが時々あるのではないでしょうか。次にこの対話力を活用して戦略をどのようにつくるかということについて伺いました。
組織はなれあいではない
最近多くの書籍や研修で、組織風土の変革の手法が紹介されています。自由な空気や創造的な企業風土をいかに作るかという話です。また多くの企業がワークショップなどによってアイデア出しを行っています。しかしそれだけでは本当に企業に必要な戦略をつくり、さらには実行へと落とし込むには不十分です。自由な空気の創出にはつながるかもしれませんが、問題を解決するためには、当事者が真剣に課題を見出し、解決策を打ち出さなければなりません。自由な組織風土は個人がしっかりやるべきことをやった上で手に入れられるものです。まずは、それぞれのポジションで実行できる戦略を綿密に練っていくことが何より大切です。その時にこの対話力を使うのです。戦略とは組織の物語です。関わる人がわくわくするような魅力的な物語をつくることはもちろん、その物語をつくる私たちの「私」にあなたがなっていくということも重要な視点です。
"戦略のロジスティクス"がない
宇田川さんは経営戦略に関して、今日本企業が抱えている重要な問題は、「事業機会の発見があったとしても、各部門や各階層で起きている問題をフィードバックして、事業戦略へと昇華させていく"戦略のロジスティクス"がないこと」だと言います。上司へ報告した時にそこで情報が断ち切れたり、上からの情報が下へ適切に落ちてこなかったりということがよく起きます。これでは、計画が実行されることはありません。伝達されていても、理解されていないのです。問題がどこにあるのか、そして何を解決すればよいのか、より深く組織の関係的な問題や目に見えない課題に目を向けていく必要があるのです。ここでも先の対話力の準備、観察、解釈、介入といった方法でアプローチします。どこに問題があるのか、どこで情報が分断されるのか、そしてそれはなぜ起きているのかなどを冷静に分析していく必要があるでしょう。
量的課題でなく質的課題に目を向ける
企業の課題には目に見える量的な課題と目に見えない質的な課題があります。企業が採用している評価体系ですが、多くは量的なマイルストーンを設定しています。いつまでに何をどのくらいするのかという設定の仕方です。品質向上などの目に見える課題には有効です。しかし、多くの問題はこうしたマイルストーンを達成しても、解決されないことが多いのです。より本質的な、そして表面には見えないことが阻害要因になっているからです。
質的課題を解いていくには、量的には解決できない組織内に潜む関係的な課題を紐解いていく必要があります。多くの人の話から文脈を探り、観察しながら本来の問題に迫っていきます。ここに切り込んでいくには、何より勇気が要ります。なぜなら多くの人はその問題に気づいていても表面に出したくないからです。組織が抱えている問題は、その責任者やまたは自分自身に要因があることが多いのです。
自分達の本来あるべき場所を探す
戦略を作る上で大事なことは、「自分達の本来あるべき場所を探すこと」です。自分達の社会での役割、提供できる社会的な価値や企業の歴史に立ち戻り、本来社会から求められた役割に集中していくことです。どうしても奇をてらった面白そうなものや、新たなサービスに目が向きがちですが、本来の場所へとリソースを集中していくことでやらなければならないことが明確になっていきます。今まで話してきたように、丁寧な対話によって戦略を見直し、ブラッシュアップしていきます。繰り返される対話の中から、強度のある戦略が作られるのです。
これが新しい「物語」なのです。私と私の周りでつくられた物語を会社全員で共有することなのです。物語の鍵は「本来の自分達の居場所」なのです。
私たちが物語を作りかえることで会社が変わる
前半に対話力とはなにかということ、そして後半では戦略をどのように作るかということについて宇田川さんの話をまとめてみました。私たちは危機的な問題に直面すると硬直してしまうものです。しかし危機もまた私と私の周りとの関係性で作られたものであるとするなら、その物語を書き換え、それをチャンスへと変換することができるのです。私たちは周りとの丁寧な対話(準備、観察、解釈、介入)によって理解し合えなかった人同士に橋をかけ、フレームを再構成していくことで、まわりと一緒に新しい物語を作っていくことができます。多くの人や企業が危機脱出のためのノウハウや、イノベーションといったことに目を向けがちです。そうではなく今いる目の前の人、上司、部下、同僚との間で新たな関係性を見出し、物語を作りかえることによって会社が変わっていくのです。
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プロフィール
宇田川元一 Motokazu UDAGAWA
埼玉大学経済経営系大学院 准教授
明治大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。
社会構成主義やアクターネットワーク理論など、人文系の理論を基盤にしながら、組織における対話やナラティヴとイントラプレナー(社内起業家)、戦略開発との関係についての研究を行っている。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。
画像提供:PHOTO BY MIKI CHISHAKI