野菜に塩をしただけの浅漬けを、ながいあいだ置いておくと、酸っぱくなります。自然のなかにいる乳酸菌が作用して、乳酸発酵がおこり、酸味がつくられるのです。また、原料にふくまれる酵母による発酵で、風味がかもしだされます。
粕漬け、こうじ漬け、もろみ漬け、味噌漬け、醤油漬けなど、発酵食品に漬けこんでつくる漬物もあります。梅干や、らっきょうの酢漬けのように発酵していない漬物もありますが、日本の伝統的な野菜の漬物のおおくは発酵食品です。
ドイツには、キャベツに塩をまぶして乳酸発酵させた、「酸っぱいキャベツ」という意味の漬物であるザウアークラウトがあります。しかし、ヨーロッパのピクルスのおおくは、野菜を酢に漬けこんだもので、発酵していない酸っぱい漬物なのです。
世界のなかで、発酵食品としての漬物が発達したのは東アジアです。中国にも、搾菜(ザーツァイ)や、野菜を塩水のなかで発酵させた泡菜(パオツァイ)など、さまざまな漬物があります。しかし、漬物は中国人の食事での必需品というわけではありません。漬物なしで食事をすることもおおいのです。
それにたいして、朝鮮半島と日本の食事にには、漬物を欠かすわけにはいきません。朝鮮半島の人びとにとって、キムチなしの食事は考えられないでしょう。日本の食卓でも、漬物は常備菜とされます。日本人にとって、もっとも簡素な食事は、漬物とお茶でご飯を食べる「お茶漬け」です。ほかのおかずはなくても、漬物さえあれば最低限の食事となるのです。
漬物の基本は塩漬けにすることです。浅漬けで食べるときは、塩をすくなく、重石を軽くして漬けます。長期間保存するときは、塩をおおくし、重石の圧力をつよくして、しっかり発酵させます。ぬか漬け、粕漬け、こうじ漬けなどに加工する場合も、最初に塩漬けにする工程が必要です。
保存食でもある野菜の漬物は、そのまま生食するだけではなく、かつては料理の材料としても使われました。北国では、雪に大地がおおわれて新鮮な野菜が手にはいらない冬のあいだ、塩ぬきをした漬物を煮物にいれて料理したのです。
日本における最古の漬物の記録は、奈良時代の長屋王の邸宅の跡から発見された木簡に「加須津毛瓜」(粕漬けのうり)、「加須津韓奈須比」(粕漬(け)の韓なすび)、「醤津毛瓜」(ひしお漬けのうり)、「醤津名我」(ひしお漬(け)のみょうが)と記されていることです。8世紀には、すでに酒粕やひしおを利用した漬物があったことがわかります。
米ぬかを使った漬物は、中国、朝鮮半島にはないようで、たくあんは日本を代表する漬物です。沢庵和尚が将軍家光に献上したので、たくあんという名がついたという説もあります。その説の真偽は別として、たくあん漬が普及するのは、江戸時代になってからのことです。江戸時代初期になると、精米技術が変化して、大量の米ぬかが得られるようになり、たくあん漬がつくられるようになったと考えられます。たくあん漬には、漬床の蛋白質が分解されてできたうま味成分がふくまれています。また、ぬかのビタミンBがしみこんでいます。ご飯と一緒にたくあん漬を食べると、精米のとき失われたビタミンBをとりもどすことができるのです。
日本は、野菜の地方的品種がおおい国です。昔から、それぞれの地方の気候や土壌にあうよう、野菜の品種改良がなされてきたのです。かぶを例にとれば、京都のすぐき漬のすぐき菜、日本最大のかぶで千枚漬けに加工する京都の聖護院かぶ、島根県の津田かぶ漬の津田かぶ、滋賀県の日野菜漬の日野菜・・・・おなじかぶとは思えないほど形状や色がちがっています。地方ごとに特色のある野菜を、さまざまな技術で漬物にするので、漬物の種類はおおく、全国に600種以上の漬物があるといわれます。
江戸時代になると、名産の漬物を売る漬物屋が営業するようになりましたが、家庭で日常の食事に食べる漬物は自家製でした。高度経済成長期になるまでは、1年分の漬物を漬ける家庭もおおかったのです。現在では、漬物を買ってくる家庭がほとんどで、たまに浅漬けをつくるくらいのことです。
そして、漬物の好みも変化しました。健康によくないと、塩分のたかい漬物は敬遠され、酸味や発酵臭のする古漬には人気がありません。サラダ感覚で食べられる浅漬が好まれるようになったのです。
市販の漬物には、野菜を一度塩漬けしてから、塩ぬきをして調味液に漬けて味つけした無発酵のものが主流です。このような漬物は冷蔵庫で保存しなくてはなりません。かつての保存食品が、生鮮食品に変化したのです。
漬物には食物繊維がおおく、乳酸菌の整腸作用もあり、ビタミンやカリウムをふくむ健康食品です。ご飯を食べるときには、漬物も一緒に食べるとよいでしょう。
石毛直道氏
国立民族学博物館名誉教授、農学博士。世界の食文化研究の第一人者。単著に、『麺の文化史』『石毛直道 食文化を語る』などがある。